しあすさとくもちゃんの闘病日記

しあすさとくもちゃんとの大腸がん闘病日記です。ステージ3の大腸がんです。現在、経過観察中です。よろしかったらご覧ください。

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本命手術から4年3ヶ月の定期検診③…CTでこんなに気持ち悪くなったのは初めて (257)

こんにちは。いつも読んでくださってありがとうございます。

寒すぎて手袋をしたままパソコンを打つので、しょっちゅう間違えて「このキーボード狭すぎるっすー💦」叫んでいる しあすさです。

 

最近 文春砲も出て何かと話題になっていましたが、今回のミス日本の方、ミスウ□ライな!?っていう感じの方ですね。びっくりしました(ユ○ヤ系のウ□ライ▽人の方?みたいです)。KOTODAMA天国さんのブログです。「これってミス日本の意味あるの?」

これが“多様性”ってやつなんでしょうか。2022年に帰化されたとか。う~ん、なんだかわからない世の中になっていく感じだなぁ。彼女はゼレンスキー大統領に会いたいっておっしゃっていたから、彼女が選ばれたことは何か政治的な意味合いでもあるんでしょうか。そういえばこのあいだ日本がウ□ラ○ナに支援した50億円以上のお金はウ□ラ○ナの方の年金に使われるそうですね。……被災者の方が困っているのになぁ。

 

 

さてここからはおもしろい動画を見つけたので紹介してみたいです。

TOLANDO VLOGさんの動画です。「すべてを失った男が知った“全自動の法則”が人生を変えるレベルで衝撃すぎる!」

自給自足の村作りのプロ、エコビレッジビルダーの山納銀之輔さんの波乱万丈の人生のお話です。とても興味深いです。お話の仕方もおもしろくて、聞き入ってしまいます。

 

概要要約を書いてみたいです。

銀さんが中学校の時、それまではあまり言われなかったのに急にお母さんに「勉強しろ」と言われ始めたそうです。「なんで?」と聞くと「いい大学に入っていいサラリーマンになったら幸せだ」と言われたそうです。そんな人(サラリーマンになって幸せな人)見たことないし、そこに魅力を感じていなかった銀さんですが、「そうすると きれいなお嫁さんがもらえるよ」と言われて、それで勉強する気になったそうです。

勉強して国立大学に入ったが、3日で辞めてしまったそうです。工学部に入ったせいか、男子ばっかりだったからだそうです。女子も2人しかいなかったし、このままいってもつまらなそうと思えたからだそうです…おもしろい方ですね。

バイトの日々が始まったのですが、19歳の時に山手線の満員電車に乗ったら、満員電車の人混みを掻き分けておじいちゃんが銀さんの側に来て、「手相見せてみろ」と言ったそうです。手相占いして金取る怪しい人かと思ったのですが、手相を見たおじいちゃんが、「なるほどね、あんたは100万人にひとりの手相だ」と言われたそうです。

そうしたら隣の人が席をゆずってきて、みんな聞き耳立て始めたそうです。

「怪しいと思っているだろ?お金を取ったりする怪しいもんじゃないよ」「人が病気になった時にナチュラルキラー細胞といってそれを治す良い細胞があって、人間界でのその細胞があんただ」と言われたそうです。

さらに「あんたがやりたいと思ったことを全部やったら、周りの人も全員幸せになるっていう運命を持って生まれてきた。だからやりたいことを全部やれ。そのかわり周りの人は足引っ張るし、出る杭は打たれるし、邪魔する人はいっぱいいる。苦労するよあんたは。でも必ず強力な味方がつくから、やりたいと思ったことは必ずやってくれ。それが世の中のためだ」

さらにおじいちゃんの言葉は続きます。「なんで掻き分けてここまできたかといったら、眉間にその相がでているんだよ」「詳しくいうと、26歳の時あんたは日本代表になる。30歳になったときにあんたは急に違うことをやり始める。42になったら絶対大丈夫だから。55になったら完全に安心な世界を作り出す。65歳になったらさらにそれを広げる」

高田馬場までくると「頑張れよ」と言ってそのおじいちゃんは降りてしまいました。それで高田馬場のじいちゃんと呼んでいると。その人のおかげで、迷ったり悩んだりしたときは、必ずやろうと決めていると。

思い起こすと確かにじいちゃんの言うように、26歳の時に青年の主張みたいなもので優勝して、日本代表になったと。そのときは当時の小渕首相と対談したそうです。30歳の時にはエコビレッジを作り始めたそうです。じいちゃんの言ったことは当たっているそうです。

 

高田馬場のじいちゃんの話を聞いた後も銀さんの人生は続きます。 銀さんは23歳の時にバイト人生に見切りをつけて、何でも屋を起業して、成功したそうです。支社もできて売り上げも良くなると、それを守ろうとする気持ちが強くなり、病気もして限界を感じて、会社をたたんで、エコビレッジを始めたそうです。でもそれがなかなかうまくいかないで、いままで親友と思っていた人も離れてしまって、ひとりで泣いていたそうです。

栃木の古民家で、床もない所からのスタートだったそうです。22年前だそうです。つらかったけど、気持ちは幸せだったそうです。朝起きて、今日は何しようと考えるのが楽しかったそうです。それを10年続けたらいろんな人が来るようになって、本とかテレビでも取り上げられるようになったそうです。

自給自足がうまくいって、若者も集まってきていいなと思ってたとき、東日本大震災が起きて、放射能で全部ダメになってしまったそうです。

そこからエコビレッジビルダーの道が始まったそうです。全国飛んで回ってそのノウハウを教えて回ろうと思ったそうです。

41歳のときにやっぱり自分の村いるな、と思って。宮崎県の暖かくていいところに村を作ったそうです。エコビレッジのプロなので、前は10年かかったところを1年でできてしまったそうです。

でもいろんな人の欲がからんで、42歳の誕生日に村を乗っとられてしまってホームレスになってしまったそうです。それで何もない森の中で暮らすことになってしまったそうです。

そのとき高田の馬場のじいちゃんの言葉を思い出したそうです。42歳になったら大丈夫、と言われたのに、ホームレスになってしまって、「何これ!」って思ったそうです。どんぐりの木の下で眠って、水たまりの水を飲んだら食中毒になってしまい、もうダメだと思ったそうです。

具合が悪くて、1週間寝たきりで もう死ぬなと思って、母ちゃんに申し訳ないなと思ったそうです。心は暗黒の世界で、裏切られた恨みや悲しみでいっぱいになってしまったそうです。そこで暗黒界がとてつもなく広いことに気づき、なぜか何も怖くない気持ちになれたそうです。くやしくて神様に文句言おうと思ったそうなんですが、森の営みの中で輝く美しい水滴を見て、つい「神様ありがとう」って言っちゃったそうです。それから変わったような気がする、とおっしゃっています。

そのあと何日生きられるかわからないけど、“生きる”を見つけようと思ったそうです。そうしたら今まで遠くにいた動物たちが、近くを通るようになったそうです。誕生日から8日目、哺乳類の一部として、動物たちに認められた瞬間だったそうです。今だから高田馬場のじいちゃんがこのことを言っていたんだなとわかるが、そのときはそんな余裕はなかったそうです。

それから全自動の世界に入ってしまったそうです。

森の中に一年半いたけれど、食べられなかった日は1日もなかった。全自動で入ってきた。作戦練ったり事業計画書つくったりしなくても、人間は大丈夫なんじゃないかと気づいてしまった、そうです。

いま銀さんは世界中を回って、エコビレッジの作り方を指導しているそうです。

以上です

 

 

すごいお話ですね。キャラクターがすばらしいです。銀さんは本も出されているので(「天を味方につける生き方」)、いつか読んでみようかなと思っています。この動画には後半もあるので(こちらです)気になる方はご覧になってください。

 

 

今回の漫画は、経過観察中にしあすさが経験したことを描いています。

sg8yktrt.hatenablog.com

 

皆さんの応援は、心の糧です。応援よろしくお願いします。描いている漫画には時間差がありますが、それを考慮して読んでくださるとうれしいです。これからも応援よろしくお願いします。

 

 

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